埼玉県吉川市でのワークショップは、イイトコサガシが常に目指している理想の世界が実現した…
と言っても過言ではない素晴らしい奇跡となりました。
「皆さんが試す姿勢を背中で見せて下さい。
皆さんが試さなかったら、子どもたち・若者たちは皆さんを真似しますよ?
試した時点で大成功!を私以外の人が実践しないと説得力が生まれません」
この言葉を吉川の皆さん、気持ちよく具現化して下さいました(笑)
挙手率80%を常に維持してしました!
皆に向かって自分らしさを表現…
本当にできる・できないが関係のない世界、試す先にある楽しいという価値観がギッシリ詰まったまま、脳みそフル回転で最後まで全力疾走でした。
先日に立川でシェアコロの石井さんから頂いた数々の言葉と、今回の吉川の奇跡を重ね合わせて、宇宙からのメッセージとして読み解くと…
「イイトコサガシの理想形をあくまで追求するのか?
それとも
試す前の人達を視野に入れて、活動するのか?」
という問いかけを曖昧にしてはいけないよ、ということかな、と思っています。
ハッキリ言って、試した時点で大成功!と言われても、イイトコサガシから始まるコミュニケーションと言われても、なかなか試せない現状があります。
それは生き辛さを抱えている人達だけでなく、今の大人たちも同じです。
語弊のある言い方をあえてしますが、偉そうにしている親御さん、支援者さん、学校の先生方、専門家の皆さんも試せていません。
(日本全国全てその傾向にある…というのが私の実感です)
そのことをちゃんと自覚してもらわないと、生き辛さは変わらないと私は考えています。
でも一方で、生き辛さを抱えている人たちがイイトコサガシ・ワークショップで少しずつでもコミュニケーションの楽しさを実感できる流れ、試すことへの葛藤が少なくなる流れを創れないと…
説得力が薄まってしまいます。
しかし難しいのは生き辛さを抱えている人達の持っている世界観に合わせすぎてしまうと、イイトコサガシの良さが消えてしまう、ということです。
「試さなくてもできる方法はありませんか?」
という質問を聴くたびに私は本当にやるせなくなってしまいます。
一見するとどちらも並行して追求できそうですが、実際はそうでもない…
そのことに自覚的にならなければいけない、と。
イイトコドリはできないということです。
イイトコサガシ:冠地情
と言っても過言ではない素晴らしい奇跡となりました。
「皆さんが試す姿勢を背中で見せて下さい。
皆さんが試さなかったら、子どもたち・若者たちは皆さんを真似しますよ?
試した時点で大成功!を私以外の人が実践しないと説得力が生まれません」
この言葉を吉川の皆さん、気持ちよく具現化して下さいました(笑)
挙手率80%を常に維持してしました!
皆に向かって自分らしさを表現…
本当にできる・できないが関係のない世界、試す先にある楽しいという価値観がギッシリ詰まったまま、脳みそフル回転で最後まで全力疾走でした。
先日に立川でシェアコロの石井さんから頂いた数々の言葉と、今回の吉川の奇跡を重ね合わせて、宇宙からのメッセージとして読み解くと…
「イイトコサガシの理想形をあくまで追求するのか?
それとも
試す前の人達を視野に入れて、活動するのか?」
という問いかけを曖昧にしてはいけないよ、ということかな、と思っています。
ハッキリ言って、試した時点で大成功!と言われても、イイトコサガシから始まるコミュニケーションと言われても、なかなか試せない現状があります。
それは生き辛さを抱えている人達だけでなく、今の大人たちも同じです。
語弊のある言い方をあえてしますが、偉そうにしている親御さん、支援者さん、学校の先生方、専門家の皆さんも試せていません。
(日本全国全てその傾向にある…というのが私の実感です)
そのことをちゃんと自覚してもらわないと、生き辛さは変わらないと私は考えています。
でも一方で、生き辛さを抱えている人たちがイイトコサガシ・ワークショップで少しずつでもコミュニケーションの楽しさを実感できる流れ、試すことへの葛藤が少なくなる流れを創れないと…
説得力が薄まってしまいます。
しかし難しいのは生き辛さを抱えている人達の持っている世界観に合わせすぎてしまうと、イイトコサガシの良さが消えてしまう、ということです。
「試さなくてもできる方法はありませんか?」
という質問を聴くたびに私は本当にやるせなくなってしまいます。
一見するとどちらも並行して追求できそうですが、実際はそうでもない…
そのことに自覚的にならなければいけない、と。
イイトコドリはできないということです。
イイトコサガシ:冠地情
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