2016/05/17
2016年2/12(金)の生き辛さ・コミュニケーション大学のテーマは 「性欲と恋愛感情」 http://kokucheese.com/event/index/366777/ やってみてわかったことは、生き辛さを抱えている人が自然に自閉していく、あるいは自然に自爆していく道筋が見えにくい形で確実に出来上がっているということ。 誰にも話せない。 話す・試す場がない。 話していいよ、試していいよと大人が言ってくれない。 大人が一緒に話してくれないし、試してくれない。 全部自分でなんとかしなきゃいけない。 (ってことはないんだろうけど、実際はそんな感じ) これが生き辛さなんだなって。 それを変えるには、とてつもなくスケールの大きい仕組みが必要になってしまう… 昨日の参加者さんもそこに絶望感を覚えてました。 じゃあ、どうしたらよいの? 何から始めたらよいの? 答えはあるけど、ゼロからのスタートにならざるを得ない。 「みんなで一緒に始めようよ」 という俺の声が虚しく響く。 もっともっとわかりやすく構造化して、注意喚起していきたいなって思う反面、これって、俺がやること? という風にも思います。 講義形式ワークショップを色々なタイトルでするのは良いんです。 タブーの領域に踏み込んでいくのは良いんです。 イチから全部俺が準備して、やっていくのは… やっぱりきついです。 孤独な作業を覚悟の上で積み上げていかないといけない… 結局、本質に気が付いたとしても、その先に進むのが大変ってことです。 そんなに色々と並行して進めるのは無理。 イベント運営とクリエイティブ、役割分担したいなぁ。 ビジネスとまでいかないにせよ、お金が回るようにしたいなぁ。 生き辛さって本当にうまくできていて、ちょっと気を抜いたらすぐに悪循環が始まるようになっています。 生き辛さを変えようとするには、多大な時間と労力と人とお金と選択肢が必要になっています。 だから誰もなかなか本質に触れられないんです。 なんとかしましょうよ、本当に。 生き辛さを抱えている人たち、次世代・次々世代の人たちのために、大人がもっと横の連携で繋がっていかないと。 俺一人じゃどうしようもないですって。 イイトコサガシ:冠地情(かんちじょう:本名)
やばい、やばい。
多様性を実感し、想像できる土台を試行錯誤経験値で創っていかないと…
勝手に自分に引き寄せて考えて、相手がそのことに対して寄り添って理解しようとしないと、無意識に否定・批判して自己完結…
という展開が止まらない。
悪気はない。
ただ、無意識・無自覚なだけ。
しかしとてつもない不快感を相手に与えてしまう。
本当にちょっとしたことで、回避できるすれ違いを、最悪の形で終わらせてしまう。
これは発達障害の問題ではないよ!(強調)
社会構造の問題だよ。
教育の問題だよ。
家庭の問題だよ。
コミュニケーションの問題だよ。
成長環境の問題だよ。
大人たちの価値観・考え方の問題だよ。
生き辛さ・コミュニケーション大学という枠組みだからこそ、浮かび上がった気付き。
おかげで、改善のヒントを頂けました。
が、問題が大きすぎて気が遠くなるなぁ。
イイトコサガシ:冠地情(かんちじょう:本名)
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