イイトコサガシの活動をしていて、痛感しているのは
「自分をさらけ出して、リアクションをもらい、それを気付きや学び、閃きに変えられる場になっている」
ということ。
正直な話、冠地にとってであって、参加者さんにとってまではできていませんが。
(それが課題でしょう、認めます)
生き辛さを緩和するためには、可能性の種まきをするには
「さらけ出した時点で大成功」
という枠組み・環境がないと、結局はだめじゃないの?ってことです。
じゃないと社会のモノサシに怯えながら、他人の評価を気にし過ぎながら、自分をさらけ出すことを諦めてしまいます。
自分のさらけ出し方を忘れてしまいます。
自分をさらけ出すことに罪悪感を持ってしまいますし、さらけ出す人に対して攻撃的になってしまいます。
最近のイイトコサガシ・ワークショップでは、自己開示する、自己表現する、さらけ出すという言葉が頻繁に出るようになりましたが…
なかなかさらけ出してもよいと思える環境には、近づけていません。
一緒にさらけ出そうよ!
という頼れる大人たちの参加が、凄く大切なのです。
皆さん、ぜひぜひ参加協力をよろしくお願い致します(礼)
イイトコサガシ:冠地情(かんちじょう:本名)
2015/12/27
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