2016年2月10日、千葉県富里市の講演会は…
熊本県水俣市でつかんだ、会得した、ものにした
「想いを垂れ流すではなく、伝える」
という部分を進化できた気がします。
その上で生き辛さの本質に迫れたかな、と。
この迫れた感覚はとても重要で、このリアリティこそが参加者さんの心を打つんだと私は思っています。
この日のハイライトは二つ。
ひとつは障害者差別についての質問に、かなり綺麗に応えられたこと。
(先日の生き辛さ・コミュニケーション大学では更にナチュラルな冠地節になっていました)
自画自賛するなら、障害者が目指すべき理想を示せたのでは?
と思います。
もうひとつはいじめを受けているお孫さん(不登校)についての質問。
ある意味、私の話を聞いていたんですか?
という部分も強くあるのですが…
クラスメートにカミングアウトし、理解を求めるかどうかの判断で家庭内で意見が割れている、と。
もう…
ハッキリさせません?
発達障害はカミングアウトしたから理解してもらえるようなものじゃないですよって。
現時点では、発達障害をカミングアウトするメリットより、デメリットの方が多いですよって。
いくら行政が発達障害のリーフレットを創っても、発達障害理解啓発講演会をしても、そんなことで障害に対する意識がすぐに高まるわけじゃありませんよって。
クラスメートに期待すること自体、酷ですよって。
駄目元でカミングアウトするのは良いですが、それ以外の選択肢を沢山準備しておかないとって。
というかそれ以外の選択肢が、実際になさすぎなんですよ!!!!
私がいくらサードプレイスを皆で創りません?
イイトコサガシのような試せる場、多世代が人間関係のしがらみのない形で交流できる場を創りません?
って言っても、それは答えにならないんですもん。
でも既存のインフラの中に答えはないんだよって。
だから引きこもっちゃうし、不登校になっちゃうし、いじめもなくならないんでしょって。
いい加減、そのループから抜けましょうよ…
生き辛さを抱えている人たちに対するセーフティネットを創らないなら、いざ自分がその立場になった時、セーフティネットがない状況になるよって話なんです。
例えば今回の講演会に100人参加があったんですけど、ワークショップにはほとんど来ない…今までの経験で考えると多分来ない…というのが現状ですから。
大人たち、生き辛さを舐めてない?
甘く見過ぎてない?
そんな簡単な方法でなんとかなるわけ、ねーだろって!
あなたたち大人が成長を目指さなかったら、何も変わらないだろって。
子どもを変えよう、変えようってそこだけ一生懸命になってるんじゃねーよって。
こんな風に俺が吠えても伝わるわけじゃないんだけど、じゃあどうしたらよいんでしょうね?
この壁をなんとか攻略したいです。
イイトコサガシ:冠地情(かんちじょう:本名)
追伸
やってもーた(汗)
当日は…
「京成成田駅東口ロータリーのローソン前に 12:30頃お迎えに行きます。 」
でも駅の看板がこれで、ローソンとロータリーがあったら気づかないよなぁ…
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