TOSCA(東京都発達障害者支援センター)の方から言われた一言が今でも、胸に残ってざわめています。
理屈はわかっていても、その本質を消化することができていません。
この真理を会得できたなら、自分のものにできたなら、格段に楽な気持ちで成人(大人)発達障害当事者会活動を続けることができる…
それがわかっているのに、今現在でもう疲労困憊なのに、このペースじゃ続かないのが現実的になりつつあるのに、どこかでそれを受け入れたくない自分がいます。
前置きが長いですよね。
では、「究極」の一言を披露致します。
皆さんも私と一緒にこれからいう言葉について考えてみてください。
「当事者会に参加する人が例えゼロになっても、それはこの先ずっとゼロということではないのよ。
参加する人はまた、現れるから。
続けていればいつか現れるものだから。
だから、ゼロになることを怖がらないで。
ゼロになったら終わりではないということを忘れないで」
…
…
至言だと思いました。
さすがは10年以上も当事者会を続けている人の言葉です。
(今の私たちより、苦難な時代で活動してきた人の言葉です)
この言葉通りに活動できれば、例え支援がなくとも続けてゆけます。
支援というのは当てにするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。
それを前提に活動していかないと、続かないよ、ということだと思うのです。
では、私がその言葉になんと返したかといいますと…
子供っぽい言葉なのはわかっています。
でも、今でもその返答は本心です。
等身大の私の言葉なのです。
そういう前提でお聞きください。
「でも…それじゃモチベーションが続かないんですよ」
TOSCAの方はしばし無言でした。
私の目には逡巡しているように見えました。
それに対して言いたいことをまとめて、それを言ったときの私の気持ちを考えて…
そういう作業を優しい思いやりの気持ちで行っているように見えました。
そして選ばれた言葉が
「自分の許容量を超える人数を集めてもだめよ。絶対に無理は続かないから」
100歩譲った、いえ、万歩、いえ、億歩譲った言葉でした。
それがわかるだけに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかし、背伸びしてわかった振りをする気にもなりませんでした。
私だって、精一杯無理が来ないよう、負担にならないよう、努力した結果が今のイイトコサガシだからです。
その言葉を運営スタッフのザックさんに伝えたところ、ザックさんは深い感銘を受けていました。
「その通り、その通りなんじゃないですかね。
ゼロでも終わりじゃない、ゼロでも続けていいんです、続ければいいんですよ」
さあ、困りました。
私はまだわかりません。
わかろうとすれば、急ブレーキがかかることになることはわかります。
しかし、重く深い恐らく「究極」の言葉を…
私はまだ受け入れられません。
否定したいわけではありません。
自分を正当化するわけでもありません。
本当に五里霧中な状態でただただ、
ただただ…
わからないのです。
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2010/03/16
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>支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
返信削除>思いもよらない、気まぐれな天使なのです。
私の考えを書きます。
支援というのは、棚ぼたのように口を開けて待ってるものではありません。
何もしない人に支援が来るとは思えません。
かといって、求めにいくもの…ということではなく、
自分も相手に親切にしましょう。そうすれば相手からも親切にされるでしょう。(ただし、親切にしてくれなくてもそれ以上は求めない。)
じゃないかな…と、思います。
今、「0人」でも、あなた一人が周りのために活動していくことが、めぐりめぐって
「ああ、あんなまじめで優しい人がいるんなら」
と、動きだす。
でも、「自分は障害者。支援なきゃ動けなーい」と、ただ口開けて待ってる人を、
誰が支援したい気になるでしょう?
自分が道をつけることで、後から人はやってきやすくなります。
後から人がやってくれば、獣道だったものが、大きな歩きやすい道になり、どんどん人がやってきます。
結果として自分が歩きやすい道になります。
(ご迷惑なコメントなら、承認されないでください。長文大変失礼しました)
>「当事者会に参加する人が例えゼロ・・・」
返信削除参加者がゼロでも、運営者がゼロでない限り、運営者側にはいろいろ成長するチャンスを頂けると私は思います。
>「自分の許容量を超える人数を集めてもだめよ。絶対に無理は続かないから」
運営者を増やしませんか?
私ももう何回か参加したら、運営側にかかわりたいと考えていました。他にもそういう人はいるのではないでしょうか?
運営側の人数が多すぎるなら、1月は運営チームA、2月は運営チームBの担当という形で分ければ、一人一人の負担は減ると思います。
SILVERさん、丁寧なコメントをありがとうございます。
返信削除非常に心、打たれました。
当事者会活動に対しての真剣な言葉は本当に励みになります。
>>支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
>>思いもよらない、気まぐれな天使なのです。
>私の考えを書きます。
>支援というのは、棚ぼたのように口を開けて待ってるものではありません。
>何もしない人に支援が来るとは思えません。
その通りだと思います。
何もしない人には確かに支援は来ないでしょう。
しかしながら…
行動をしたから、努力したから、頑張ったから支援が来るわけでもありません。
そのことを自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>かといって、求めにいくもの…ということではなく、
>自分も相手に親切にしましょう。そうすれば相手からも親切にされるでしょう。(ただし、親切にしてくれなくてもそれ以上は求めない。)
>じゃないかな…と、思います。
これはあくまで私の未熟ゆえの感情なのですが…
「よし! 親切にしてくれなくてもそれ以上は求めないぞ!」
と決意すれば、そういう考え方になれるわけでは「私は」ないのです。
辛い時には助けてもらいたくなりますし、自分の行動に理解を求めたくもなります。
自分のした親切に報いてもらいたくもなってしまうのです。
それが私の現実です。
その現実を踏まえた上で、理想に向かって試行錯誤しなくてはならないのです。
等身大の自分を自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>今、「0人」でも、あなた一人が周りのために活動していくことが、めぐりめぐって
>「ああ、あんなまじめで優しい人がいるんなら」
>と、動きだす。
そうなればよいと私も思います。
ベストはその形だとは思いますが…
とも限りません、残念ながら。
私の経験では動かないことのほうが多いです。
その現実を覚悟する必要がある、というのが私の見解です。
その覚悟を自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>でも、「自分は障害者。支援なきゃ動けなーい」と、ただ口開けて待ってる人を、
>誰が支援したい気になるでしょう?
それはもちろんその通りです。
誰もそんな人を支援しようとは思わないと思います。
しかし
「自分は障害者だけど、できる限り動いて少しでも仲間のための居場所を作るぞ!」
という人がいたとしても支援があるとは限らないのです。
その現実を自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>自分が道をつけることで、後から人はやってきやすくなります。
確かに、確かに…
きやすくはなりますが…
必ず来るわけではありません。
来ないほうが多いです。
きやすくなるだけ、と覚悟しておいたほうがよい…
というのが私の見解です。
その覚悟を自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>後から人がやってくれば、獣道だったものが、大きな歩きやすい道になり、どんどん人がやってきます。
>結果として自分が歩きやすい道になります。
それは…本当に理想の形ですよね。
私もそうなることを望んでいます。
が…後から人がやってきても必ずしも協力関係になるとは限りません。
どんどんと人がやってきたとしても、皆が運営の立場を理解してくれるとは限りません。
結果として私が歩きやすい道になるとも限りません。
色々な可能性があります。
そして…
残念ながら成人発達障害当事者会はリスクが非常に大きい、というのが私の見解です。
ある会合で講師の方が
「成人の発達障害当事者会は揉め事が起きやすく、継続がし難く、支援がし難い」
と言われましたが、私はその言葉に反論できません。
本当に大変なことを実感しているからです。
その覚悟を自戒する意味での文章が…
『支援というのは当てにするするものではありません。
支援というのは期待するものではありません。
支援というのは…ある日突然舞い降りる幸運のようなものです。
思いもよらない、気まぐれな天使なのです。』
だということをご理解いただけるとありがたいです。
>(ご迷惑なコメントなら、承認されないでください。長文大変失礼しました)
いいえ、非常に嬉しかったです。
ポジティブなリアクションが本当に心に響いてきました。
しつこく同じような返答をしてしまいましたが…
また、よろしければコメントいただけるとありがたいです。
今後ともイイトコサガシをよろしくお願い致します。
waisuさん、先日はご参加、ありがとうございました。
返信削除そして、コメントをありがとうございます。
>>「当事者会に参加する人が例えゼロ・・・」
>参加者がゼロでも、運営者がゼロでない限り、運営者側にはいろいろ成長するチャンスを頂けると私は思います。
それは本当に実感しております。
当事者会の運営こそが真のSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)ではないか?
と思えるほどです(笑)。
ただですね…
これは私のナイーブ・ハートの問題なのですが…
参加の申し込みが少ないと、結構凹みます(苦笑)。
私自身を否定された気分になります(あくまで気分ですが)。
そういう意味では意外と余裕を作るのが難しい、というのが現状であります。
>>「自分の許容量を超える人数を集めてもだめよ。絶対に無理は続かないから」
>運営者を増やしませんか?
>私ももう何回か参加したら、運営側にかかわりたいと考えていました。他にもそういう人はいるのではないでしょうか?
非常に嬉しい、そして願ってもない申し出をありがとうございます。
こちらも今の体制では持たない…
というのは痛感しております。
そのためのひとつの対応策が
「ファシリテーター体験ワークショップ」
だったりします。
waisuさんが参加された時に私以外の3人にファシリテーターをやっていただいた、アレです。
今のままですと、私なりザックさんが体調を崩して寝込んでしまったら、ワークショップを行えなくなってしまいます。
そんな綱渡りはなるべくなら早く終わらせたいというのが、本音です。
ただし、当事者の皆さんは自分の問題で精一杯の方がほとんどですので、そう簡単にお願いできるものでもありません。
加えて誰でもよい…
というわけにもいきませんので、無作為に募集をかけるようなこともできない、というわけです。
waisuさんのおっしゃるとおり、何回か参加していただいて、ワークショップのリズムみたいなものをつかんでいただいて、その上で…
生活の支障にならないようであればぜひぜひ当事者会運営参加をご検討いただきたいと思います。
場所も都内の色々な場所でできるようになったほうが、より多くの当事者が参加しやすくなりますしね。
本当にその方向が適うならそれがベターです。
もちろん、当事者会運営は奇麗事ばかりでは務まりません。
こちらもそれは隠すつもりはありません。
しかし、これだけは伝えておきたい、です。
大変ではあるが、当事者会活動は非常に有意義で楽しいものだ、と。
waisuさん、今度会った時に、ゆっくりそこらへんはお話しましょう(笑)。
>運営側の人数が多すぎるなら、1月は運営チームA、2月は運営チームBの担当という形で分ければ、一人一人の負担は減ると思います。
そうですね。
そういう形で、運営を分散できれば随分と余裕ができます。
イイトコサガシとしては、なにはともかくなによりまずは…
「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」
このファシリテーションができるような人が増えるとよいな、というのが一番の目標ですね。
そのためにも会の回数を増やしたいのですが、それで参加者が集まるかというと…
それはそれで読めない。
厳しい言い方をするなら、そこまでの力はまだイイトコサガシにはありません。
そこの兼ね合いが課題、ということになりましょう。
しかし、本当に嬉しい申し出です。
今後も「無理のない範囲」でイイトコサガシをよろしくお願い致します。